クロユリの花言葉やアイヌ民族に関わる伝説とは?

クロユリの花言葉へようこそ。日本ではホラー映画の題名としても起用された「クロユリ」。クロユリがなぜ恐ろしいイメージや呪いの花と呼ばれているのかをご存知でしょうか?実は富山県では有名な「黒百合伝説」というお話に登場してくるからです。

哀れな武将とその恋人に関係するお話ですが、最後はクロユリの登場で衝撃のラストを迎えます。クロユリの花言葉も伝説が由来となっていて、クロユリは知れば知るほど面白い伝説が出てきます。

今回はその中でも有名な2つの伝説と、合わせてクロユリの特徴や花言葉をご紹介します。

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クロユリの花言葉

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クロユリの花言葉は「恋」「呪い」の二つです。シンプルながらとても怖そうですよね。クロユリの花言葉の「恋」の由来はアイヌ民族に伝わる伝説から付けられています。クロユリの花言葉の「呪い」の由来は呪いの花伝説から付けられています。

詳しく後述いたしますので、よろしければそちらをご覧ください。

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クロユリの伝説

クロユリには昔から言い伝えられている大きな伝説がふたつあります。クロユリの名前が出ているだけなら、もう少し数がありますが、今回は中でも有名な、アイヌ民族に伝わる伝説と、呪いの花伝説と言われる「黒百合伝説」をご紹介します。

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アイヌ民族の伝説

クロユリは涼しい高山を好んで生息し、昔からアイヌの高山にはクロユリが咲いていました。身近な存在にあったクロユリに、アイヌ民族の中では言い伝えがあります。

「好きな人の近くにクロユリの花をそっと置きます。そのクロユリを、誰が置いたのかわからず相手が手に取ったら、二人はきっと結ばれることでしょう。」なんと可愛らしい言い伝えでしょうか。真っ黒なクロユリにはもったいないほど素敵です。

この言い伝えがあることから、クロユリに「恋」という花言葉が付けられました。今でもこの伝説はアイヌ民族達に言い伝えられています。純粋な恋心を持った少年少女たちが目に浮かびますね。

この言い伝えだけではなく、アイヌの民族料理にクロユリを使った料理がいくつかあります。茎の部分をお米と一緒に炊いたものや、ゆでた茎部分を油に付けて食べるものなどがあります。

アイヌとのつながりがある北海道の樺太では、クロユリを乾燥させたあと保存して、冬の寒さをしのぐ保存食としても用いられていました。

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クロユリの呪いの花の伝説

とても長くなってしまいますが、こちらがもう一つの有名な伝説、通称「黒百合伝説」です。クロユリの花言葉「呪い」は、佐良峠越えの末に起きた黒百合伝説が由来となっています。

富山城の主であった佐々成政(さっさなりまさ)は、1584年に浜松城の主であった徳川家康を訪ねるために「佐良峠(ざらとうげ)」を超えようとしていました。この佐良峠は富士山、白山と呼ばれるほど険しい立山でした。

そもそも、なぜ峠越えをしているかというと、成政には豊臣秀吉を打ち倒す野望がありました。元々、織田信長の宿将として功績を上げた成政は、信長の死後に主君の仇である明智光秀の討伐予定でした。ですがそこに割って入った秀吉が、風のように早く、仇である光秀を討ちとってしまいました。

成政は秀吉の行いと、ただの凡人が将軍となっている事が気に食わず、秀吉討伐を目論んでいました。良いタイミングで徳川家康が、信長軍の生き残りである秀吉軍を討伐しようと軍を起こします。それを聞いた成政は踊るように喜びました。

しかし11月になって、家康と秀吉が和解したとの悪い知らせが入りました。成政と家康の間には、秀吉討伐という秘密の約束があったのにも関わらず、なぜそうなったのか成政には聞かされていませんでした。

これは家康に直接会って話をするしかないと考えましたが、成政のいた越中の国には、四方八方に敵軍が潜んでしました。唯一家康のいる国に行く方法が、この佐良峠を越えるしかなかったというのです。

様々な困難を乗り越えて、家康のいる国へ着いた頃には、成政一行は約10人ほどに減っていました。前人未到の峠越えを完遂し、家康に再起するよう訴えかけます。「あの報せはどういうことだ!秀吉討伐の約束はどうした!何としても秀吉を打ち倒そうぞ!」疲れ切った形相の成政でしたが、眼光だけは野望に輝いていました。

そんな成政に、家康は呆れたようにこう返します。「そのような時節(チャンス)がなかったのだ。仕様のない事よ。今はこの状態が一番良いとするぞ。」

昔から徳川家康はずる賢く、悪知恵の働く将軍として有名でした。その老獪さを見て、成政は開いた口がふさがらず、翻弄された絶望に打ちひしがれながら、自分の国へと帰る他ありませんでした。

この過酷な佐良峠越えの時に、成政は一人の女性を待たせていました。早百合(さゆり)と呼ばれる女性は、成政の一番のお気に入りで、「早く男の子を産んでほしい」というほどでした。佐良峠越えを決心した成政を引き留めず、「私はここで待っています。」と女性らしく早百合は答えていました。

ですが成政の愛が早百合に集中しすぎたあまり、早百合ではない他の側近である女たちが、早百合をねたみ始めました。自分の国に帰った成政は、側近たちから信じられないことを聞かされます。

「早百合は、小姓・岡島金一郎とつながっていました」早百合の行動、言動すべてが、成政を弄ぶための行いだったと聞かされます。もちろん、早百合はそんなことはしていません。ただ一途に成政を愛していたにも関わらず、側近の女たちが嘘の噂を話したのです。

それを聞いた成政は一瞬で怒り狂います。「おのれ!!!」そう言い放つと真実を確かめる余裕もないまま、最愛である早百合を斬ってしまいます。家康に裏切られ、ましてや最愛の女にも弄ばれたと勘違いしていたのでしょう。

早百合は死に際にこう残します。「もし、立山に黒百合の花が咲いたら、佐々家(さっさけ)は滅亡することでしょう」早百合は一本榎(えのき)の元で息絶えました。

女たちの恨み妬みによって殺された早百合の怨霊がその木に留まり、風の強い雨の日などに女の生首を引っさげた鬼となって現れたそうです。明治時代まで実際に奇妙な火の玉が現れたりしたことから、「早百合のぶらり火」とも呼ばれていました。

早百合の死後、立山に一輪の黒百合が咲きました。結果として、秀吉軍が成政討伐に軍を率いて、越中の野山を攻めました。明らかな軍勢の差により、成政は降伏します。

その後成政を肥後の国の主にし、奇策によりわざと一揆を起こさせます。その結果国人やその親族もろとも斬首し、国は滅亡へと進んでいきました。それから2年後、秀吉が尼崎に成政を呼びつけたので、成政は珍しい立山の黒百合を持っていこうと、飛脚に取りに行かせます。

しかし秀吉の正妻である北政所(きたのまんどころ)と、正室の淀殿(よどどの)は女の闘いを繰り広げている最中でした。北政所は、成政が運んでくれた珍しい黒百合を喜び、淀殿を招いてお茶会を開こうとしていました。

この話は淀殿に漏れていて、本当は美しい銀の花瓶に生けて出すところを、薄汚れた竹筒に生け捨てて秀吉夫妻を呼びました。北政所は顔色を変えます。「なんと、こんなありふれた花を私に出して、成政は珍花として届けたのか。私に恥をかかせるつもりだったのね!」

この北政所の怒りから、成政の失脚に繋がってしまいます。その状況を見た秀吉からの話はこうでした。「一揆の責任はすべて成政一人で負わなければならない。成政の行いはよろしくなかっただろう。」

そして成政に切腹を命じました。嫌いな秀吉に仇を討たれ、家康には翻弄され、最愛の人早百合を周囲の妬みによって殺してしまった成政は、今までの自分の生き様と行いに絶望しました。

「ただ秀吉を討伐して早百合と幸せに暮らしたかっただけなのに、どうしてこのようになってしまったのか。」そう思いながら、51歳の冬に自害しました。これが佐良峠越えから4年、早百合の死から3年後で、早百合の言う通り佐々家は滅んでしまいました。

このお話が「黒百合伝説」と言い伝えられ、「呪い」という花言葉が付けられたのだそうです。実際に佐々成政は「悲運の武将」として名が知れ渡ってしまうほど、何にも報われなかった悲しい人です。

早百合もその悲運に巻き込まれ、愛する人を呪ってまで、呪いの花を咲かせてしまったのですね。きっと誰も悪くないんですが、誰も救われない、なんともスッキリしない伝説でした。

クロユリの種類など花言葉に関する豆知識

それではクロユリの種類などの花言葉に関する豆知識を解説していきます。クロユリは、漢字で「黒百合」と書き、「百合」の花と同じ字を書きますが、実はユリとは違う種類です。ユリがリリウム属なのに対し、クロユリはフリチラリア属に入ります。こちらでは、そのフリチラリア属の仲間たちをご紹介します。

まず紹介するクロユリの種類は西アジアで誕生した「フリチラリア・メレアグレス」です。ワインレッドのような色味で、下向きの花を一輪咲かせます。草丈は20~30cmほどで、花びらには網目のような模様があります。黄色い花粉部分が重そうに項垂れているのが特徴です。

続いて紹介するクロユリの種類は「フリチラリア・ミハイロフスキー」です。小アジアの標高2000~3000m当たりの高山で誕生しました。草丈は15~20cmとやや低く、5月~6月に開花します。

全体的に黒みのある紫に染まり、先端だけ白っぽくなっています。小さい花をいくつか付け、ロックガーデンされる園芸家に愛されています。

次に紹介するクロユリの種類は「バイモ」という中国で誕生した品種です。草丈は40~60cmの中型で、茎の部分は漢方として使われています。細長く先端がカールしている葉が特徴的で、花は淡い薄緑色に色づきます。

花の大きさはやや小ぶりで、花の内側に黒い網目のような模様が入っていることから、別名「網笠百合(あみがさゆり)」とも呼ばれています。

最後に紹介するクロユリの種類は「フリチラリア・インペリアリス」です。イラン、トルコなどの中近東で誕生しました。大きな球根から太い茎が垂直に伸び、先端に淡いオレンジのような花をいくつか咲かせます。草丈は最終的に60~100cmまで伸びます。

花の形が細長目で、下に向いて円を書くように咲く姿は、遠くから見るとまるで果物です。以上がクロユリが属しているフリチラリア属の仲間たちでした。

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クロユリの誕生花

クロユリの誕生花は3/27,8/8,8/12,8/28,9/7です。シンプルに二つのクロユリの花言葉と違い、クロユリの誕生花は意外にも多く付けられていましたね。ですがクロユリの花言葉はプレゼントには向かない花言葉ですので、自分の観賞用にとどめておきましょう。

クロユリの原産地

クロユリの原産地は北日本からカムチャッカ半島、そして北アメリカ北西部になります。クロユリは基本的に山が多く、涼しい湿原などを好んで分布されています。黒百合伝説のように、本当に山の高い位置に咲くようです。

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クロユリの名称・名前の由来

クロユリという名前は花姿が百合に似ていることと、黒色一色に咲くことからこの名前が付けられました。ですが、黒百合伝説に登場した「早百合」の名前から付けられたとも言われています。百合の姿にも似ていますが、早百合からとられた可能性も高そうですね。

クロユリは他の花と違って悪臭を放ちます。この悪臭はハエが喜んでたかってしまうほどです。人間からすると決して良い香りではありませんよね。英名はこの悪臭に対する印象が強かったためか、様々な異臭を放つものの呼び方をされています。

「skunk lily(スカンクの放屁のように臭いユリ)」「dirty diaper(汚れたオムツ)」「outhouse liliy(便所ユリ)」など、どれももはや悪口のような呼び方ですね。英語圏の方は鼻がよく効くので、私たち日本人よりも激臭に感じたのではないでしょうか。

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クロユリの開花時期

クロユリは5~8月に開花しますが、クロユリは涼しい時期を好むので、最盛期は5月になります。涼し気な初夏の風に吹かれているクロユリの姿が目に浮かびますね。市場にクロユリの苗が出回るのも、涼しい5~6月です。花持ちは3~5日と平均的です。

クロユリの花言葉のまとめ

ここまでクロユリの花言葉を紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?クロユリに纏わる伝説を中心にご紹介してきました。恋の恨み妬みをつづった暗い歌詞のラブソングや、呪いを題材にしたホラー映画の題名などにも使われているクロユリですが、その反面可愛らしい恋の伝説も隠されていました。

古くから日本ではクロユリの小説や歌がたくさん書かれています。そのためクロユリは暗い雰囲気の印象がどうしても強くはなってしまいますが、純粋な恋心を持った民族が、このクロユリを愛していたことも忘れないであげてくださいね。クロユリの花言葉でした。

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